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芥川×勅使川原のダンス「羅生門」


国際的アーティストで、現在は愛知県芸術劇場の芸術監督も務める勅使川原三郎が7月、新作ダンス「風の又三郎」を発表した。宮沢賢治の同名文学を題材に東海圏ゆかりの新進ダンサーたちと創作したステージは、これまでに観た勅使川原作品と印象が異なり、驚かされた。「都会的でスタイリッシュ」というイメージは抑えられ、冒頭の足を踏み鳴らす振付には土着的・原初的なエネルギーを、子どもたちが笑う様子を表す振付にはユーモアやかわいらしさを感じ、小学生の世界がみずみずしく、また切なく伝わってきた。そんな勅使川原が次は、芥川龍之介の小説「羅生門」に取り組んでいるから楽しみで仕方ない。

勅使川原三郎版「羅生門」には勅使川原自身のほか、「風の又三郎」でもダンサーの一人として若手をリードする形で勅使川原をサポートした佐東利穂子が出演。さらにハンブルク・バレエ団のスター、アレクサンドル・リアブコが勅使川原作品に初参加!ゆくゆくは海外公演も検討されている。リアブコが愛知入りした7月には3人そろって記者会見を行い、勅使川原は新作の構想など、リアブコと佐藤は稽古の手応えなど語ってくれた。

「原作はほんの数ページの短編小説ですが、今の実感を生き生きと舞台上で表せる題材だと考えています。私は『羅生門』の中に、ある神話性を読み取りました。それは日本古来の神話、あるいは北欧やケルトの神話にも通じると感じています。神話というのは古い話というのではなく、時代時代で生き生きとした何かを捉えているもの。今こそ、逆説的にではなく本質的に、神話を捉えたいですね」(勅使川原)

「去年お話をいただいた時は『羅生門』について何も知らない状況で、驚きました。また、これまでに勅使川原さんの作品を拝見する機会がなく、新しいことをやらなければいけない、困難を乗り越えていかなければいけないわけですが、この特別な経験をうれしく思っています。リハーサルでは『どう感じるか』を常に問われ、身体を強く意識する体験をしています。皮膚を感じ、皮膚の内側から外側へと意識が向かうような……。勅使川原さんの探求が興味深く、スカイプを利用したリハーサルから空間を共有したリハーサルへと移ったこともあり、この先も楽しみです」(リアブコ)

「勅使川原さん、リアブコさん、お二人の言葉から、今、さらなる喜びを感じています。リアブコさんが私たちと面識がないにも関わらずオファーを引き受けてくださったことを、うれしいと同時に不思議にも思っていました。しかし、言葉を交わすうちに納得したんです。彼は本当に真摯な方で、話すことも聞くことも優れている。自然と私たちの中に信頼関係が生まれていきました。同じ空間にいて、彼の身体から感じられること、また彼が感じていること、感じようとしていることを、同じように感じ、交換できています」(佐東)

リアブコのコメントを聞いた勅使川原は「リアブコさんは理解力が高く、私の意図を正しく受け止めている。彼は、自己表現ではなく、いま何が起きているかに反応して動けています。音もただ耳で聴くのではなく、感じて、身体がどう反応しているのかに意識を向けている。リアブコさんと佐東には共通するものを感じます。謙虚なのに、内面には強いものがある。また必要以上に自分を見せず、だからこそ見えてくるものがあることを知っている。そういった知性も同様ですね」と付け加えた。

平安時代の京都を舞台にした「羅生門」は、主人から暇を出された下人が羅生門で途方に暮れている時、老婆と出会って複雑な心中を露わにしてしまう物語。黒澤明監督で映画になっていることでも有名だが、勅使川原による舞台はストーリーを追うものではない。

「『羅生門』には飢饉や殺りくなど、人間が生きていく上で困難な問題があふれています。神話として見れば、鬼が棲んでいる。死体が転がり、生きた人間と区別なく存在する悲惨な状況に足を踏み入れた下人ですが、自分まで身を落としたくはない。死と生の狭間のような非日常的な世界は、ある意味、今の私たちが共有できる状況と言えないでしょうか。時代を批判する意図ではなく、人間の本質がそこにあるのではないかと。だから、必ずしも醜いとは思えないんです。もしかしたら美しいことすら反映できるような、見えない何か大事なことが表されているのかもしれない。私には今、実感している危機があって、それを実感する強さがあれば、創作もできると考えます。誰かの陰に隠れることなく、一歩前に出て物申す。難しい状況は私にとっては面白いことですし、困難にこそ映し出せる現実があるのではないかとも思います」

勅使川原の言う「危機」をコロナ禍と見る向きもあるだろうが、着想したのはコロナ以前だったという。勅使川原は、鬼とは人間を超えたものの象徴や具現化で、そもそも人間の心の中にあると考えている。そこで舞台上には下人と老婆に加え、鬼なる存在も見えてくることになりそう。また、この短い物語には書かれていない前後の時間にも着目。創作のヒントを模索している。なお、音楽や美術、照明、衣装ほか、観客の目や耳に届くものは自ら手掛けるのも勅使川原の美学。そこにダンスや表現への根本的な考え方がうかがえる。

「不確かなものを明らかにしていく行為にこそ力がある。私たちの身体は不確かな命だからこそ、名づけられなかったことに向き合う力もあると思うのです」と勅使川原。また彼は「私にとってダンスとは希望。ダンスは動くことで視点を変え、一歩踏み出せるのです」とも言った。原作の中にある普遍的なエッセンスが、ダンスとなって今この時代にどう映るのか。私たちも自らの目で確かめるしかない。

*画像は勅使川原三郎版「羅生門」記者会見より
(C)Naoshi Hatori

勅使川原三郎版「羅生門」
◎2021年8月11日(水)19:00
愛知県芸術劇場大ホール
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