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愛しい国を、画と音で後世に――


不思議な感覚を揺さぶられる映画を観た。中野裕之監督による「ピース・ニッポン」には日本各地の美しい風景が収められているけれど、その印象はドキュメンタリー映画から受ける感じとはちょっと違って、もともと私たち日本人の中にある物語やドラマを呼び覚まされるとでも言おうか。私たちは何処から来て何処へ行くのか、自分は何者なのか。あらためて考えさせられるような作品だ。

取り掛かりは2010年10月だったそうだが、翌年3月11日に東日本大震災が起きた。中野は映像や写真、音によって日本の姿を遺す必要性があると、いっそう強く意識。カメラと録音機を抱え、まだ行っていなかった場所、特に東北方面を訪れた。

「目的地はまず名所でした。ただ、それは5カ所行ったら4カ所はハズレの繰り返しで……。天候などの条件でどうしてもベストな状態が録れず、翌年に出直すことの連続。また当初は3Dカメラで始めましたが、その後4Kに替えたりドローン撮影が加わったり、機材の進化による再撮影もあって、時間は倍に倍にと膨らむ一方でした。現地をリサーチしてくれる人もいませんから、ツイッターなどを頼りにその名所のベストを探るんですけど、桜の満開時期であればタイムラグも読まなければいけなくて、“何人ぐらいの人が『満開です』とアップしたら本当に満開か”を推測できるようになりしました(笑)」と中野。

映画になるかもしれないという手応えを覚えたのは7年目の頃。結果8年がかり、200カ所以上を撮影したが、映画に収録されたのは全体の1%ほどと言うから愕然とさせられる。

「日本に興味を持ってもらうため、本当はみんながアップロードしてくれるといいんですけどね。ウィキペディアのようなアーカイブに似たイメージ。その場所を撮るのにもっと上手い人はいるでしょうし。ただ、言い出しっぺがいないと始まらないのも事実で……。それでも可能性を感じてはいます。いま撮っておけば、10年後、20年後、30年後ぐらいには意味を持つかもしれない。日本には、まだ撮られていない穴場がいっぱいあるんですよ」

圧巻の映像美を、私たち日本人の自然観や精神性と結びつけてくれるのは、ナビゲーターを務める小泉今日子と東出昌大だ。中野の起用理由もはまり、作品の強度を高めている。

「小泉さんて、声を聞いたらすぐわかるでしょ? あの声を遺したかったんです。それに、録音現場で僕が指示を出す時、小泉さんが『はい』と返事をしてくれるだけでストレスが吹き飛ぶような癒しになりました(笑)。男性ナビゲーターについては、たとえば聖徳太子の心を語るような場面があるんですよ。そこで東出さんが歴史に詳しいと聞いていたので、ラブレターを書いたところ引き受けてくださって。現場では『ハンサム過ぎるので爺っぽく呼んでください』とか、熊本であれば『精一杯、応援の気持ちを込めて』とお願いしたんですけど、熱く読んでくださると聞いていて感動するんですよ。小泉さんも東出さんも同様ですが、想いをこめる点では演技と変わらないんですよね」

なお、中野は脚本にも参加。各地が3~4分で構成されていくので、ミュージシャンの協力もあおぎながら、言葉の編集に努めた。そうして出来上がったナレーションは美しく響き、本作に劇的ダイナミズムを与えている。中野が「95~100点以上の画」にこだわったのも、ある種フィクショナルな世界を創造したかったからだろう。

47都道府県すべての景色や伝統文化を観られるので、故郷が映れば、誰だって嬉しいはず。しかし自腹を切ってまでして製作した中野の内心は、もっと複雑かつ切実だった。

「いつまでもあると思うな」

中野を突き動かしたのは、その想いに尽きる。「生まれて初めての真面目な作品」と冗談めかしもしたが、彼の行動力は並々ならない。おりしも、中野の取材日から公開日までの間、つまりこの原稿の執筆中には近年にない水害で西日本が混乱。筆者も実家が特別警戒地区となり、監督の言葉が何度も頭の中を駆け巡った。また「“生きている”と“生かされている”という考え方の違い」といった話とともに、自然と向き合うための謙虚さや、先人たちの自然崇拝の歴史にも思い至る。そして中野は自嘲気味にこうも言った。

「日本人は忘れる天才」

私たちは、忘れっぽいからこそ未曾有の苦難を幾度も乗り越えられたのかもしれないが、やっぱり忘れてはいけないことがある。それを「ピース・ニッポン」は気づかせてくれる。

「ピース・ニッポン」 ◎7月14日(土)~、伏見ミリオン座ほかにて公開 http://peacenippon.jp/

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