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維新派最終公演チケット発売開始!


日本はもとより世界でも類を見ないスケールの舞台を創造してきた大阪の劇団、維新派が10月に奈良の平城宮跡にて「アマハラ」を上演。8月28日(日)からチケットを発売する。同作は、維新派の代名詞とも言える“野外劇”の最新公演にして最終公演。彼らは、この作品をもって解散する。

各種メディアで既報のとおり、維新派の主宰・松本雄吉が6月18日に食道がんで他界した。しかし「アマハラ」は松本不在のなか公演が決行される。去る8月、維新派としては異例の記者会見も敢行。カンパニーを代表して作曲・演奏家の内橋和久、役者の平野舞と金子仁司、制作の山崎佳奈子が現在の状況や心情などを語った。

まずは司会を務める編集者の小堀純から、ここまでの経緯が手短に説明された。

小堀「松本さんが他界した後、内部で議論はありましたが、作品はもう始動していた。現在進行形なのだから、やろうという結論に至りました。平城京は、かねてから松本さんが公演をやりたかった地。その平城宮跡で、2010年の作品『台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき』を改訂、『アマハラ』と改題して上演します」

「灰色の牛」は「《彼》と旅をする20世紀三部作」のアジア篇として、瀬戸内海に浮かぶ犬島で発表された傑作。この度の改訂公演は、文化庁による国家プロジェクト「東アジア文化都市2016」の一環として奈良市などが主催。維新派と(株)カンカラ社が製作する。

左から内橋和久、山崎佳奈子

山崎「松本には、演出という役割だけではない求心力があり、他の誰かが代わりを務めるのは不可能という判断から、公演はできないという意見も強くありました。でも、生前から準備をしてきて平城宮跡への思い入れもありましたし、劇団として“けじめ”をつける意味でもやった方がいいのではないかと考え始めて……。維新派46年の長い間に、関わった人はたくさんいます。だからこそ、かっこつけた言い方かもしれませんが、松本の死で終わりではなく、自分たちで終わらせる道を選ぶことにしたんです」

1970年に日本維新派として結成された同劇団は、1987年に維新派と改名。その歴史においてメンバーやスタイルを変化させながらも、松本の圧倒的な世界観で作品を貫いてきた。現在の劇団員には在籍30年のベテランもいれば2年ほどの若手も。その中から今回、役者6人とスタッフ1人で演出部を立ち上げ、平野と金子も演出・出演の二役で奮闘している。

左から劇場模型を手にした金子仁司、“松本ノート”を持つ平野舞

平野「『灰色の牛』の再演ではあるんですが、前回の構成表をもとに順番を入れ替えたり新しいシーンを加えてみたりして、組み立て直しています。また、いろんな時代の、いろんな人が登場する作品。ひとりの主人公を立てるよりは、多数の視点を持った作りがいいのではないかと考えているところです。ただ、やればやるほど松本さんの不在は想像以上。遺された創作ノートを“松本ノート”と呼んでいるんですが、その松本ノートと構成表を探るほどに、広大な土地を歩んでいるようです(苦笑)」

金子「松本さんはExcelで台本を書いていたので、そうしてみたんですよ。僕には初エクセル。それで図面や台本を作ってみると、すごく理に適っているなと。作業を通じて空間の見方に発見がありますね。あと、“コピペ”の能力がハンパない(笑)。そうやって各人が担当シーンを持ち、シーンごとに作っていく方法をとっているんですが、松本さんの考えていた『平城京でやる』という本筋は忘れずに進めています」

何もなかった場所に丸太を組むところから始めて劇場を作り上げ、野外劇を上演した後は、釘ひとつ残さず元に戻して去るというのが維新派の美学のひとつである。今回は“廃船”をイメージした舞台&劇場を建築。海のない奈良に船を出現させてしまうというから面白い。司会の小堀も「奈良はシルクロードの終着点であり、大陸に向かって開かれている都市でした。松本さんは『なぜ、その場所でやるのか』ということを絶えず考えていた人ですが、奈良が世界とつながっていることは、平城宮跡に立ってみるとわかるはずです」と語る。東に御蓋山、西に生駒山、北に平城山丘陵と古墳群、南には飛鳥。奈良・平城宮跡は、地形的にも歴史的にも平安京とはまた違った魅力のあふれる場所だ。生駒山に夕日が沈む時刻を踏まえ、開演は毎日17:15。その光景を想像するだけで早くも胸が高鳴る。

山崎「もともと東アジア文化都市の事業趣旨と『灰色の牛』のテーマがつながるんじゃないかということで、この企画が成立していった経緯があります。再演と言いながら新作と見紛うほどにすると、松本も豪語していたんですよ」

平野「松本ノートの中の言葉は一見なんのことかわからないんですが、“旅”と『ここはどこですか』というフレーズが何度も出てきます。それは松本さんがずっと持っていたテーマであり、今回のキーワードにもなっていくと思います」

島づたいの“海の道”を通り、日本とアジアの国々を渡った人々が描かれる舞台。史実を織り交ぜた展開、20世紀三部作でおなじみ《彼》の登場が観客の心を激しく揺さぶるはず。

廃船をイメージした劇場の模型

また、維新派といえば「ヂャンヂャン☆オペラ」と呼ばれる変拍子の音楽劇でも名高い。そのカナメが、作曲から本番のライブ演奏まで一手に引き受ける内橋だ。

内橋「80年代前半に松本さんと出会った頃、維新派は暗黒舞踏の時代で、僕にとっては維新派が演劇初体験でもあり、今でも自分の中のデフォルトになっています。僕が全面的に参加するようになったのは1990年の『[echo]スクラップ通りの少年たち』からなんですが、当時はまだヂャンヂャン☆オペラという名前もなく、松本さんも音楽音痴でしたね(笑)」

冗談も交えながら振り返る内橋だが、松本の周辺には当時から現代詩人の吉増剛造やミュージシャンの町田町蔵(現・町田康)といったユニークな才能が集い、内橋にとって刺激的だったことは間違いないだろう。「あんな大きい舞台で自分の作った音楽を演奏できる機会なんてなかったから物凄い体験ですよね。やりたい人はいっぱいいると思いますよ」という言葉にも、出会いが特別だったことを感じさせる。やがて話題は松本の思い出に……。

内橋「とにかく優しく、そして厳しい人だった。維新派には『一度辞めたら戻れない、去る者は追わない、切る時は切る』という決まりがあるんですけど、いい加減なことは絶対に許されない現場なんです。経済的に潤うわけではない活動をする中で、松本さんは意気込みや真剣さのない人を徹底して認めませんでした。一方で、他者の意見をよく聞き、若い人たちが好きだったので、若い人たちも寄ってくる空気がありましたね」

小堀「普通のカリスマ像とは違いますよね。自分の書いた台本を押しつけるようなことは絶対にしませんでしたし、ヒエラルキーが大嫌いな人でもありました」

そこから、宿泊所では率先して靴をそろえ、舞台が運動場の時にはいちばん熱心にトンボで整地した異色の主宰の素顔が明かされ、聞いている方も泣き笑い!? そこには松本の“美”への向き合い方もうかがえる。また、維新派では現地入りしてから劇団員が寝食を共にするため、内橋からは「ご飯のことを大事にしていた」、金子からは「『ろじ式』の時、ぬか床を持参した」という微笑ましいエピソードも。それを聞いて、すべては松本の“命”に対する考えに通じていくような気がした。いい加減なことを許さないのは劇場作りにおいて命取りになるから、食事に気を配るのも命の源だから。ある意味、身体を、命をむきだしにして演劇に取り組んでいる松本と維新派にとって、当たり前の営みだったのだろう。

それにしても、「アマハラ」とは素敵な作品名だ。山崎いわく「たくさんあった候補の中から選びました。自分たちでタイトルをつけることも重要ではないかと……」。“ひとりひとりが維新派である”という精神の集大成を見る想いがした。

最後にひとつ。維新派公演の名物“屋台村”も当然でるので、観劇の前後に空腹を満たしたり一杯やったり、存分にお楽しみを。松本の追悼コーナーも設けられる予定だ。 維新派「アマハラ」 ◎10月14日(金)~24日(月) 17:15 (屋台村開場16:00/客席開場16:45) 奈良・平城宮跡 【奈良県奈良市佐紀町(東区朝堂院付近)】 一般5500 円 U25(観劇時25歳以下対象・要身分証明書)3000 円 チケット発売開始:8月28日(日)12:00~ http://ishinha.com/

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