ぜいたくなジャズ・ピアノ真剣勝負
75歳を数える現在までに通算22回のグラミー賞に輝いた巨匠チック・コリアと、米CBSと日本人初の専属契約を結んで以降“世界のOZONE”として活躍してきた小曽根真。ふたりのジャズ・ピアニストが日本縦断公演を敢行する。1996年にモーツァルトの「2台のためのピアノ協奏曲」で初手合わせ以降、共演は何度も重ねてきたが、ツアーは今回が初めてだ。
「出会った30年前はバークリー音楽大学在学中でデビューもしていなくて、一緒にツアーをするなんて考えもしませんでした。共演してからですよ、『ツアーをやりたいね』と口にするようになったのは。ただ、チックも僕も3年に1回ぐらい会ってその話をするんだけど、たいがい予定が埋まっている。それが3年ぐらい前かな。NHK交響楽団の提案がもとで、チックに『20年前のモーツァルトをもう一回やってみない?』と言ってみたんです。まずふたりのツアーを計画して、N響もうまくハマればと。それで機が熟したというのか満を持してというのか、20年越しのツアーが決まりました」と小曽根。
公演に先駆けて話を聞かせてくれた彼の言葉からは、躍る胸の内が伝わってくる。
「チック・コリアとデュオをやりたいなんて人、世の中に何百万といる。チックさんはうまいのはもちろんだけど、何がって凄いって“作り続けていること”なんです。毎日作曲していて、2日に1回は譜面がメールで届きます。そういう方なので常に新鮮。この歳になってつくづく思うのは、音楽には日常の生き方が全部でてくることですよね。だからチックは魅力的なんです。自分の道を確実に作り歩んでいる進行形の人なので、グラミー22個という栄光にもしがみついていない(笑)。チックとのツアーは僕のゴールではないけれど、小曽根真というピアニストの途中経過として、これほど勉強になることはありませんね」
敬愛してやまないチックを、小曽根はさらにこう分析する。
「好き嫌いはものすごくハッキリしていると思います。ただ、彼は人を評価しない。人間社会は身長から髪型からファッション、売り上げ枚数……、すべてに評価が付き物じゃないですか。でも彼は、良い悪いを絶対言わない。ものすごくクリアで自由なスピリットを持っているから、人を抑圧する評価という行為をしないんです。いつもニュートラルで、いつもフリー。だから音楽も『こう来たら、こう行くでしょ』という理屈が通らない。それは楽しいけど不意を突かれるから怖いですよ(笑)。真剣勝負で普通この手とこの手とこの手で来たらここに来るでしょという時も、裏で読んでくるような人。同時に、自由に遊ぶための下作りをちゃんとする。これがまた、あり得ないぐらい緻密なんです」
チックを語るうち、小曽根の考える優れた音楽家像にも話が及び、興味を引かれた。
「音楽を演奏する時、弾くことなんかどうだっていいんですよ。音楽家は弾けて当たり前。音楽家の差は“聴く力”なんです。裏まで読める力があるかどうか。チックが出してきた音に対して『この音だからコレね』と無頓着に返したら、言わば“つまらない会話”になる。そういう人とはチックも僕もやりたくない。そもそも会話になりませんから」
ところで、聴く力は演劇にも必要だ。小曽根がチックだけでなくゲイリー・バートンやハービー・ハンコックら頂点の人たちについて語る時「初めて一緒にやって僕が変な風に弾いちゃったとしても、そこから音を拾って成立させてしまう。いい役者同士が芝居をやっていて、台詞を間違えても観客にはわからないよう上手にもっていけるのと同じかな。作品を理解しているから自由自在にできる」と、演劇に例えた。その場合、役者は台詞を言うだけでなく、相手の言葉をリアルタイムで聴いていないと成立しない。筆者は、演劇のプレイヤー=役者の差も、台詞を言う力より聴く力に表れると思っている。
小曽根の妻は役者の神野三鈴で、自分に影響を与えた人として前述の巨星たちや北野タダオ、両親とともに「僕の相棒、家内」と神野を挙げ、特に人間的なことで彼女に教わったと語る。一方で彼も時間が許せば神野の望みに応えて現場に立ち会い、助言するという。そんなエピソードに「自分が自分の演奏の聴衆でもある」という小曽根の言葉を踏まえると、役者は自分の演じる姿を観ることはできないので、神野の求めがわかる気もする。音楽と演劇の通じる部分/異なる部分に想いをめぐらすうち、小曽根・神野夫妻の素敵なパートナーシップを感じ、当てられてしまった。
演劇や映画の音楽も手掛け、近年はクラシックにも意欲的で、あらゆる表現、あらゆる芸術に精通していく小曽根。その考えは明晰だ。
「日本では芸術に高尚というイメージがありますが、僕は勝手に高尚ではないと思っています。なぜなら、僕は自分の好きなことを50年やっているだけなので。人間は生きるためにご飯を食べます。これは身体的なことですよね。じゃあ、心の栄養は?そこで初めて芸術が出てくる。音楽、演劇、絵画、彫刻……、アートはすべて、人間が魂を求めて何かを表現したものです。観た人が何かはわからないけどエネルギーをもらえる、これが心の栄養だと思うんです。そして本物の音楽とか芸術は圧倒的なものでなければいけない。圧倒的なものは千差万別、老若男女、国境や言葉を越えて人間の心をつかみ、感動させる。このコンサートを通じて、芸術が生きていく上で本当に必要不可欠な何かであることを考えていただくきっかけになれば嬉しいです。特にチック・コリアという宇宙規模に大きいエネルギーを持った人と一緒ですから、たぶん何かとんでもないことが起こりますよ」
ツアーに先行する4月20日(水)には、過去の共演録音をまとめたチック・コリア&小曽根真スペシャル・コンピレーション・アルバム『Chick&Makoto-Duets-』をリリース。しかしコンサートのプログラムは新譜を中心に…というワケじゃない!?
「やりたい曲はリストアップしますが、絶対そのとおりに行かないのがチックと僕。CDから『ラフィエスタ』は可能性があるかな?ひょっとしたら名曲『スペイン』をやるかもしれない。どこへ行くのかわからないコンサートになると思います。神のみぞ知るですね」
そして最大の眼目はタイトルにうたわれるとおり、アコースティック=生の演奏だ。
「チックはピアノのディーテイルを聴かせたいという理由で必ずマイクを入れるんです。ロックのコンサートのようなPAではなく、ピアノの微妙なニュアンスをスピーカーで出して、どの席の方にもより良く聴いてもらうのが彼のコンセプト。でも今回は2台だから蓋もとってしまって、生の音で聴いていただこうと。僕はやっぱりアコースティックが好きなんです。チックが通常使う会場は日本の武道館クラスなので生音は無理ですけど、音響のいいホールでもわざわざスピーカー入れるのはどうかと思い、そこは彼を説得しました」
チックのファンにとってもまたとない機会が実現するのは、巨匠と小曽根の強い信頼関係のタマモノだろう。そして偉大なる先輩から受け継ぐものは未来へと――。
「チックは僕が創造しようとするエネルギーをいつも称えてくれます。久しぶりにブルーノートで連弾した時、彼は僕の音が大きいことに驚いた。クラシックを始め、特にロシア物のラフマニノフやプロコフィエフをやった後、弾き方が変わったらしんです。彼は僕がクラシックをやることに興味を持っていて、『いま何をやってる?』とか『プロコフィエフによろしく』と送ってくる。クラシックという怖いものに立ち向かっていくエネルギーを素晴らしいと称えてくれるんです。海外の一流ミュージシャンは人を惜しみなく手放しで褒めますよね。『世界最高のピアニスト、小曽根真!』なんて呼び込まれると『どんな顔して出ていけば…』と思うんだけど、チック・コリアが言うんだから仕方ない(笑)。なかなかないですよね、日本人では。そういうことも、僕は後輩たちに伝えるようにしています」 チック・コリア&小曽根 真 ピアノ・デュオ・プレイズ・アコースティック ◎5月27日(金)19:00 愛知県芸術劇場コンサートホール 全席指定9800 円 学生3000 円 中京テレビ事業