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懐かしい童話がアマノワールドに!


児童文学の巨星・浜田廣介の代表作として誰もが一度は読んだであろう「泣いた赤鬼」を、少年王者舘の天野天街が人形音楽劇に仕立て上げた。東京の糸あやつり人形一糸座と名古屋の奇才によるコラボレーションは、あの懐かしいお話に新しい命を吹き込んでいる。東京公演まっただ中の天野に尋ねた。

「『泣いた赤鬼』は、もともと好きな作品だったんですよ。本当に子どもの頃に読みましたけど、とても印象に残っています。青鬼が可哀想で……」

人間と仲良くなりたい赤鬼のため、仲間の青鬼が悪役を買って出て、おかげで赤鬼は人間と仲良くなれたが、青鬼は姿を消してしまうという物語。芝居の大筋はこの原作に忠実だが、独自の劇作・演出で知られる天野のことだ。台詞には不思議な言語感覚があり、音楽はモダンでポップ。また、映像と照明が巧みに絡み合い、他の人形芝居とはまた違った、スペクタクルな“アマノワールド”となって出現する。

「いつもどおり、いろんなものを詰め込んではいるけど、原作のエキスは確実に抽出したと思っています。面白いものにはなっているはず」

面白さのひとつは、鬼と人間のサイズ感。鬼を人間の役者が演じ、人間を人形で表現することで、鬼を巨大なものとして体現している。しかも、鬼は途中で人形になったり……!?

「このあたりのパースの“ブレ”は、作品のキモにもなってるかな。そこからメタ構造的なものも立ち上がってくるんです」

そして原作の最重要エキスであり、演劇とも天野自身の作風とも結びつくのが、喪失感であり、とりかえしのつかないことである。

「『泣いた赤鬼』を通じていちばん感じるのは、とりかえしのつかないことって何だろう? 失うことって何だろう? という想いなんですよ。特に“とりかえしのつかないこと”は、作品を言い尽くしている感がある」

さらに天野は「“今”という概念自体、とりかえしのつかないことですよね」と続け、そこに彼の演劇観、死生観も浮かび上がる。天野お得意の(?)芝居のループを駆使したところで、演劇の時間は戻るわけではない。時は残酷なまでに進行あるのみで、劇もいずれ無残に消えてしまう。それは人間が有限の存在であることとも同じ――。そう考えていくと、人形が俄然、強く確かな存在にも思えてくるから、ますます面白い。人間と鬼、人間と人形。対比の鮮やかさが見モノになることは間違いない。

糸あやつり人形 一糸座 人形音楽劇「泣いた赤鬼」 ◎1月16日(土)・17日(日) 土14:00 日18:00 四日市市文化会館 舞台上特設ステージ 前売一般3000円 前売学生1500円 当日一般3300円 当日学生1600円 ※学生は当日、学生証等要提示。 http://yonbun.com/

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