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死者と出会える装置として――


劇団B級遊撃隊が主宰・佃典彦の書き下ろし、佃の名女房役・神谷尚吾の演出で、新作「間抜けのから」を発表する。荒野を舞台にとったワンシチュエーションの不条理劇。そこに佃は、死者との出会いを求めている。

「荒涼とした荒野の広がるイメージはもともと嫌いじゃない風景だけど、今回は“死者と出会う場所”をどう設定しようか考えるうち浮かんできて。でも振り返ると、(代表作の)『土管』にせよ『KAN-KAN』や『ぬけがら』でも、僕の作品はみんなそうなんですよね。“死者と出会える装置”としてシチュエーションが決まっていくという……」(佃)

  荒野を縫製中(!?)の山口未知。舞台では大女優役で貫録の演技を。

この戯曲を書くにあたっては、昨年、親しい仲間をふたり失ったことが大きく影響している。ひとりは役者であり劇作にも精力的だった瀬辺千尋、もうひとりは劇作家・演出家として優れた作品を数多く遺す深津篤史。

「死んだヤツと普通に会えるシステムがないのかなと。往生際がよくないので、俺。今でも不思議な感じがするんだよね。ケータイの中には瀬辺や深津のアドレスがそのまま残っていて、生きてる時と何にも変わらない気がするんだもん。だから、この世にいない者と普通に会える装置として書いた芝居なんです」(佃)

チラシに記された「百年に一度の巨大台風」や「ヒトのカタチをした『間抜け』」などのフレーズから、現代社会を映すような芝居を予想していたが、寓意性はさほど強くない様子。“間抜け”の意図するところは皮肉というより大らかさらしく、「日本がどうだとか、今の日本が抱える問題とか、どうでもいい気がしてきている」という佃の言葉も本音だろう。それでも『間抜けのから』は、亡くなったおふたりと佃の間だけの何かではない。根底にあるのは、広く死を悼む気持ち、死者を慈しむ想いだ。

主人公は、お年寄りを騙したりしながら図鑑を売るセールスマン。彼が台風で荒廃した故郷の村に帰ってきたことから物語は進行していく。さらに登場するのは、荒野を森にしようと耕す中年男、マクベスを探し続ける大女優と付き人、そして食虫植物の人民草!? また、佃曰く「死んだ者とどのように交信するか、また、どのように死んでいくのかという話」であるシェイクスピアの「マクベス」を引用。そこで森はまた違った意味合いを持ち始め、魔女が絡んできたり、セールスマンは危うく“ダンカン”にされそうに……。

「出てくるのは言うなれば、生きてるのに先が全く見えない人、死んでるのに明確な目的がある人、余命いくばくもない人ですね」(佃)

さて、そんな佃の作意に応えるのが演出の神谷だ。終盤あたりの稽古を拝見したところ「存在があやふやになっていくように、登場人物たちが不安定なものになっていくように……」と、イメージを役者たちに伝える姿が印象に残った。

「人間の〈生〉は無駄なことばかりだけど、それでも生きていくワケで。そういう無常観とか無力感が出せたらいいなと。それから、舞台で起きていることが“繰り返し”みたいに映る演出も考えてます。今は肌ざわりのようなものを大切にしながら芝居を作っているので、観客には、森に風がなびいた時なにかを感じてもらえたらいいですね」(神谷)

演出の神谷尚吾

死者と、あるいは死そのものと強く向き合う戯曲であると同時に、ある意味ごくシンプルな作品にも思える。筆者の所感に対し、神谷が面白い言い回しで締めくくってくれた。

「隙間をどうするかが問題ですよね。観客にスカスカの芝居だと映るのか、観客の想像で埋まる芝居になるのか……。ローリング・ストーンズの曲に『ホンキー・トンク・ウィメン』というのがあって、(それまでのストーンズの楽曲に比べると)どこか音がスカスカなのに彼らの世界をちゃんと作ってるんです。表現は様式化しちゃオシマイだし、いくつになっても前進しなきゃいけない。『間抜けのから』は、(ストーンズにとって画期的だった)『ホンキー・トンク・ウィメン』のようなものにできたらいいなと思ってます」(神谷) *トップ画像中央、麦わら帽子役者が、劇団主宰で劇作家の佃典彦

劇団B級遊撃隊「間抜けのから」 ◎6月12日(金)~14日(日) 愛知県芸術劇場小ホール 一般:前売2800円 当日3000円 ユース(25歳以下):2500円 高校生以下:1000円 ※ユース・高校生以下は当日、要証明証提示。 http://www.bkyuyugekitai.com/

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