映画「愛して飲んで歌って」に すっかりヤラれて……!
フランスの巨星、アラン・レネ監督が91歳で亡くなってから間もなく丸1年。彼は最後にトンデモナイ作品を遺していった。それが「愛して飲んで歌って」だ。きっと今ごろ監督はアチラの世界で、困惑したり呆然としたり、あるいはニヤニヤしながら楽しむ観客を見て、ほくそ笑んでいるのではないだろうか。 ベルリン国際映画祭でアルフレッド・バウアー賞(銀熊賞)を受賞したのも、本作が驚くべき映画であることの証しだろう。同賞は本来、革新的な若手監督に贈られるもの。それを敢えて巨匠監督に捧げさせてしまうほど、この映画には瑞々しく斬新な表現が鮮やかに盛り込まている。「愛して飲んで歌って」は文学や漫画、音楽、そして演劇にも造詣の深かった、レネのまさに集大成――。 物語は、3組の夫婦を巡って展開する。開業医のコリンと妻カトリーヌ、ビジネスマンのジャックと妻タマラ、農夫のシメオンと妻モニカ。それぞれ恵まれた生活にある夫婦だ。ところが、高校教師ジョルジュの存在が絡みだすと、徐々に各夫婦のほころびが見え始める。特に困った人物がカトリーヌ。彼女は医者の夫コリンからジョルジュが病で余命いくばくもないことを聞きだすと、ジョルジュの親友ジャックに速攻、電話。コリンの心配むなしく、話はすぐさま仲間内に知れ渡る。そこからジョルジュの元妻だったモニカだけでなく、カトリーヌとタマラも彼と何かあったことが明らかに……!? カトリーヌ役はレネ監督の伴侶、サビーヌ・アゼマ。カトリーヌはハッキリした物言いの女性で、密かに酒飲みでもあるが、アゼマが演じるとチャーミングで憎めない。11作もの映画でレネを支えてきた女優の真骨頂だ。他にもコリン役のイポリット・ジラルド、タマラ役のカロリーヌ・シオル、ジャック役のミシェル・ヴュイエルモーズ、シメオン役のアンドレ・デュソリエら、レネ作品の常連が出演。またスタッフにも「去年マリエンバードで」以来ずっとレネ作品を手掛けてきた美術監督、ジャック・ソルニエが参加。レネ組勢揃いの趣きとなっている。 そしてもうひとり、レネ作品を知る人物にして、今回、重要な役割を果たしているのがブルッチだ。ブルッチは「風にそよぐ草」以降3作のポスターを担当してきたバンド・デシネの作家。バンド・デシネとはフランス語圏の漫画のことで、日本の劇画から影響を受けたことでも知られる。そんな分野で活躍するブルッチが、本作ではポスターのみならず、劇中に挿入されるイラスト、そして書割(!)を手掛けているのだ。 「愛して飲んで歌って」は、イギリスの劇作家アラン・エイクボーンの「お気楽な生活」(原題「Life Of Riley」)を映画化している。レネは過去にもエイクボーンの戯曲を映画化しているが、今回は演劇と映画を自在に行き来しようとする試みが圧巻。セットには前述のとおり書割が用いられ、キャストは舞台の登退場を思わせるように現れたり去ったりする。 また、物語の中でカトリーヌたちはアマチュア演劇を上演することになるのだが、その様子はスクリーンに映し出されない。そもそも、ジュルジュという人物も他の人の言葉で語られるばかり。とにかく、見えない部分が多い。 この感覚は、エイクボーンが得意とするワンシチュエーション・コメディに付き物で、観客は舞台上の設定の「外にある世界」を想像して楽しむ。基本的には空間が限定される演劇において、目の前に見える舞台以外の世界をどれだけ観客に伝えられるかは大事な問題。ただし、そこには観客の想像力も不可欠だ。「愛して飲んで歌って」は、作り手と受け手が知的な想像のやり取りを交わせるという点でも、成熟した豊かな味わいがある。 それにしても、短編ドキュメンタリー「夜と霧」で一躍脚光を浴びたレネ監督が、最期の遺作で演劇と映画に真正面から取り込んだことには、強く興味を引かれた。ドキュメンタリー映画にも演劇にも、虚構とは何か現実とは何かという問いがつきまとうからだ。完全にウソでも完全にホントでもない感触。レネが遺したものの凄さに、すっかりヤラれてしまった。 ◎2月21日(土)~、名演小劇場にて公開