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時代に抹殺された英雄を甦らす――映画「ジミー、野を駆ける伝説」


「麦の穂をゆらす風」「天使の分け前」などで知られるイギリスの名匠ケン・ローチが、アイルランドの知られざる英雄を題材にした映画「ジミー、野を駆ける伝説」を監督。日本でも間もなく公開される。実在の人物ジミー・グラルトンの社会的闘争を描いた物語には、政治や経済、宗教とともに、人間の〈生〉に対する普遍的な問題が浮かび上がる。 アイルランド内戦後の1932年、ジミー・グラルトンがアメリカから10年ぶりに祖国の片田舎リートリム州に帰ってくる。仲間に歓待されたジミーは、老いた母親の面倒をみながら穏やかに暮らすことを望んでいた。しかし、渡米前のジミーが地域のリーダーであったことを伝説のごとく聞いていた若者たちは、彼の活動の象徴でもあった「ホール」=集会場の再開を懇願する……。 ある意味しがない労働階級の男ジミーは、なぜアイルランドで唯一の国外追放を余儀なくされたのか。しかも、正当な裁判さえ開かれずに!その背景には、教会や地主らの思惑や私利私欲があり、内政揺らぐアイルランド近代史があった。リベラルな考えを持つジミーを中心に民衆が集えば、そこからどんな勢力が台頭するかわからないと考えた支配者階級は、彼を抑圧・排除したのだ。そうした事象は何もアイルランドに限ったことではない。 それにしても、歴史上抹殺され、資料にも乏しかった人物を、この映画では単なるゴリゴリの活動家としてではなく、豊かに肉付けしている。ジミーは、誠実に働いた者が正当な恩恵を受けるべきだと訴え、民衆が身の丈にあった教養を得たり、分かち合える環境を整えた。だからホールでは、アイリッシュ・ミュージックやダンスが繰り広げられ、美術や文学の講習が開かれる。馬車馬のように働き、食べて寝るだけでは、人として生まれた喜びが得られないからだ。 日本も格差社会と言われて久しいが、世界を見渡せば、まだ恵まれた、豊かな国には違いない。ただ、それが未来永劫も続く保証はない。ある日突然、自由にコンサートやライブができなくなり、演劇や映画に検閲が入り、PCやスマホは取り上げられる――。そんな悪夢が現実になりうることだって「ない」とは言えないのだ。 それだけにラストシーンには共感を覚え、監督をはじめとする制作陣の熱いメッセージを受け止めた。ジミーを突き動かし、この物語が始まるきっかけを作ったのは、若者たちの切実な想いと行動だった。そして最後を託されたのも……。世界はまだ変えることができる。「ジミー、野を駆ける伝説」は、次代を担う人たちにこそ観てほしい。 ◎1月17日(土)~、ミッドランドスクエアシネマ・MOVIX三好にて公開

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