映画「イロイロ」は何がいろいろ!?
ちょっと前に取材した劇作家・長田育恵さんの話も思い返しながら、私たち日本人は、今後ますますアジアという視点に立って物事を見る必要があるのではないかと感じた。シンガポール映画「イロイロ ぬくもりの記憶」を観れば、決して他国の問題ではない何かに突き当たるはずだ。 シンガポールの新鋭アンソニー・チェンが監督・脚本を手掛けた「イロイロ」は、彼の長編デビュー作ながら、カンヌ国際映画祭でカメラドール(新人監督賞)に輝き、台湾金馬奨4部門でも受賞。一躍、チェン監督の名も世界に知れ渡った。ちなみに、彼は出演者の側であってもおかしくないイケメン。天は二物も三物も与えたもんです。 そんなチェンが、自身の幼少期を題材に制作した映画「イロイロ」。題名は、監督の実家で働いていたフィリピン人のメイドさんの故郷「ILO ILO」に由来。日本語の「いろいろ」という意味ではないワケだ。そして本作には、監督の子どもの頃さながら、ある少年の一家とフィリピン人のメイドが登場する。 共働きの両親のもと、ひとりっ子として育てられた少年ジャールーは、比較的恵まれた環境のせいかわがままで乱暴なため、小学校では問題児扱い。母親も手を焼いている。そこで、フィリピン人のテレサが住み込みのメイドとしてやってくることに。テレサは家事全般に、子どもの世話も命ぜられるが、多感な時期にあるジャールーは彼女に悪態をついて、心を閉ざす。
何かとテレサに迷惑を掛けるジャールーは、初めのうちは笑っちゃうほど憎たらしいのだけれど、賢さと幼さのバランスが不安定な中で揺らいでいるのだと思えば、どこか愛しく切ない。それをテレサもわかり、ふたりは徐々に心を寄せていく。 ただ、この「イロイロ」が面白いのは、単なる少年の成長物語や、異国人との温かな交流ドラマになっていないところだ。ジャールーとテレサが仲良くなることによって母親は嫉妬の感情を見せ始め、一方の父親は仕事につまづき、家族には暗雲が立ち込める。そして何より、テレサが必ずしも清廉潔白な人物ではないのがいい。国に子どもがいる彼女は、必死でお金を稼ぐため、家族に隠れて……。 少年、父親、母親、外国人メイド、それぞれの立場や視点、感情から浮かび上がってくるシンガポールのすがた。家族だけでなく、経済や社会の問題をはらんだ物語は、日本の現在とも根底でつながっている気がしてならない。 映画のラスト、ジャールーがとった行動はいかにも進歩のない粗野なところを表してもいるが、同時に、大人の都合で回っていく世界に対して言葉にできない反抗を示したとも言えるのでは? ハッとさせられる瞬間だった。 ◎12月27日(土)~、名演小劇場にて公開