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人類の想像力が悲劇の抑止力になると信じて


松村克弥監督による「祈り-幻に長崎を想う刻(とき)-」が戦後76年目の8月に公開される。原作は田中千禾夫(たなか・ちかお)の戯曲「マリアの首-幻に長崎を想う曲-」。長崎生まれの田中が1959年に発表した同作は、故郷・長崎でそれぞれの戦後を生きる人々の群像劇だ。プロデューサーから同作の映画化を提案された時「戯曲も田中千禾夫さんも存じ上げなかった」と松村は恐縮したが、それも仕方のないこと。田中は大劇作家・岸田國士から薫陶を受けた新劇界の重鎮には違いないが、没後25年以上過ぎた今では作品の上演機会も少なく、演劇ファンでも知らない人は多い。しかし同作に触れてみると、当時にして戦争を過去のものとする空気があったことに驚かされ、現在に通じる課題を突きつけられた。松村は映画化の具体的な経緯とともに、原作に感じた魅力をこう語る。

「戦後70年を迎えた2015年、僕は無名の兵士たちを取り上げた映画『サクラ花-桜花最期の特攻-』を撮っています。そのプロデューサーふたりから戦後75年にもまた違った戦争の映画を制作しようと話をいただき、挙がってきたのが田中さんの戯曲です。演劇で上演するための台本なので映画には難しいと思う半面、時代設定にはひかれました。『マリアの首』は、ちょうど『もはや戦後ではない』(1956年)というフレーズが流行った当時のドラマだからです。また『浦上天主堂がどうなるか?』という問題とともにストーリーが展開していくのは映画的だなとも思いました。結果的に原作の大筋は変えず、ベテランの渡辺善則さんが映画としてわかりやすく面白い脚本を書いてくださいました」


(C)2021 K ムーブ/サクラプロジェクト

昼間は看護師、夜は娼婦として働く被爆者の鹿。闇市で詩集を売りながら病身の夫を支えつつ、実は暗い過去への復讐に燃える忍。ふたりはカトリック教徒であり、信仰と友情で深く結ばれていた。1945年8月9日から12年の時が過ぎた冬の長崎。戦争のこと、被爆のことを、忘れたい人、忘れてはいけないと誓う人、どちらも存在した頃、街は無残な姿となった浦上天主堂の取り壊し問題で揺れていた。鹿と忍は雪降るクリスマスの夜、被爆で焼け焦げた聖母マリア像の首を天主堂から持ちだそうと計画するが……。鹿役には高島礼子、忍には黒谷友香。他にも巧者が脇を固め、柄本明や寺田農といった個性的な俳優が存在感を示す。さらにマリア像の声を美輪明宏が務めているのも印象的。

「鹿の二面性を表すには艶っぽい部分がほしかったので高島さんはイメージどおりでした。黒谷さんは清楚で凛としていて、でも頼りなさげなところが忍にぴったり。おふたりとも勉強熱心で、自主的に時代背景など学んで参加してくださってましたね。この映画では本当にキャスト、スタッフに助けられました」



(C)2021 K ムーブ/サクラプロジェクト

黒澤明らを支えてきた重鎮・安藤篤の美術は、シーンごとに再現性あるいは幻想性を発揮。ジャズ畑の谷川賢作の音楽は、時に鋭い緊張感をもたらす。そうした表現のプロの仕事がある一方、被爆者の遺体の描写に本物の医師の指導を仰いだというエピソードを聞き、作り手たちの並々ならない想いを痛感。だからこそ、この映画には原爆や戦争の生々しい実相が浮かび上がる。ただし「戦争を美しく描きたくはなかったけれど、国家や軍を一方的に批判するのも嫌なので、少し引いた視点で捉えました」とも松村監督は言い、被爆経験を日本人の立場でただ嘆くのではなく、戦争を多面的に見つめ、冷静に問い直している。

試写を観た長崎の関係者の中には辛かったという率直な感想もあったそうだが、それだけ松村たちが真剣に向き合った証しだろう。田中千禾夫の家族からは「亡くなった父も喜んでいると思う」との言葉をもらい、松村は「報われた気がする」と安堵の表情も見せた。なお、前述の美輪明宏、また主題歌「祈り」を歌うさだまさしも長崎出身。もちろんロケにも長崎の全面協力があり、田中の原作に始まった映画「祈り」には多くの長崎人の想いが込められていることは間違いない。

第二次世界大戦で人類の起こした様々な悲劇が、時間の経過とともに実感を失い、記号のようになっていくのを恐ろしく思うことがある。映画「祈り」が多くの人の想像力に訴えかけ、傷みが共有できることを願いたい。喜ばしいことに第16回ロサンゼルス日本映画祭への正式招待も決定している。アメリカの観客とも何かが分かち合えると信じてやまない。
「祈り-幻に長崎を想う刻(とき)-」
◎2021年8月20日(金)~、名演小劇場にて公開

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