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映画「百日紅~Miss HOKUSAI~」、原 恵一監督インタビュー


江戸風俗研究家として文筆業やTVでも活躍した杉浦日向子の傑作漫画「百日紅(さるすべり)」が、原恵一監督によって初めて長編映画化された。「百日紅」は、主人公の浮世絵師・お栄と父の葛飾北斎こと鉄蔵を中心に、家族や仲間たちの姿が描かれる時代物。一方の原監督は「河童のクゥと夏休み」「クレヨンしんちゃん」シリーズなど手掛ける気鋭で、以前から杉浦作品のファンだったという。それだけに満を持してのぞんだ「百日紅~Miss HOKUSAI~」は、愛情あふれるアニメーション映画に仕上がっている。原監督に話を聞いた。

「杉浦さんの原作を、なるべく壊さず映像化することに心を配りました。杉浦さんの作品は完璧なので、挑戦しようなんて意識はなく、どううまく伝えられるかを考えましたね。原作のすべてが魅力的で、だからこそ映像化は大変だったんですよ。途中、粗悪なコピーを作っているんじゃないかという不安にも駆られたり……。それでも、培ったキャリアのすべてを投入して描き出さねばと、自分にプレッシャーを掛けながら制作しました」 そうして完成した映画「百日紅」は、まずオープニングのロックが印象的だ。これから観る世界は、江戸なのか、はたまた――。

「ロックで始めたのは、お栄が“ロックな女”だからですね。あと、杉浦さん自身もロックが好きだったそうなんです。それで、時代劇だけどロックで始めようと。お栄は江戸時代ではめずらしい職業を持った女性で、現代の女性にも通じる悩みを抱えている。仕事や恋、家族といった問題を通じて、ただの昔話ではないと感じていただけるはずです」

その半面、監督は、こうも続ける。

「もちろん、お栄が特別な女性であることにも間違いはないんですよね。そして、そんな自分をお栄はどっかで持て余している。自分の中にある自分をコントロールできない何か。お栄には、そういうものが潜んでいるんです。でも、それって今の我々も同じなんじゃないかと。ただ、お栄は隠そうとしないんですよね。そこが、愛おしい」

そんな監督も惚れる(!?)お栄の声を務めたのは、多忙を極める女優の杏。彼女も杉浦作品のファンとのことで、原監督にも大きな手応えを与えてくれたようだ。

「杏さんの声がついた時いちばん『愛しいお栄が誕生した』と実感できたんです。ただ生意気で鼻っ柱の強い女ではなく、恋に純情だったり、いろんな面を持った女性としてね」

ちなみに、北斎は映画、ドラマと多方面で活躍中の俳優・松重豊、北斎の家に住みつく絵師・池田善次郎(後の渓斎英泉)には同じく俳優の濱田岳が声を当てている。杏も松重も早い段階で監督の希望どおり決定。また濱田は、原監督としては貴重な実写映画「はじまりのみち」で現場を共にしたことから今回につながった。他にも高良健吾や美保純、清水詩音、筒井道隆、麻生久美子といった豪華俳優陣が参加。そして、浮世絵の版元=地本問屋の萬字堂役でさりげなく江戸の空気を添えているのが、当代屈指の人気落語家・立川談春である。

「キャラクターデザインを手掛けた板津(匡覧)くんが談春さんのファンということで話にあがり、オファーしたらご本人も喜んで快諾してくださって。アテレコの時は、やっぱり声量が違うなと感じましたね。あと、おそらく初めてのお仕事だったからなんでしょうけど、よく、ひとりごとを言ってましたよ。それに、失敗したら自分でツッコんだりとか(笑)」

頼もしいキャスト&スタッフによって、スクリーンには江戸の風景がスケール感たっぷりに広がり、当時を生きた人々の姿が鮮やかに浮かび上がる。その中では、監督自身も原作を通じて知ったという陰間(=男女問わず相手する男娼)の存在なども描かれ、当時の風俗に思わずギョッとする場面も!? やがて観客は鬱屈した現代社会から離れ、心がすうっと解放されていく気分を味わえるはず。

「四季を感じさせるものにしたいとか、竜を登場させたり花魁の首が伸びるエピソードを入れることで日常と非日常を交錯させたいとか、いろんな想いがありましたけど、何より、華やかな映画にしたかったんですよ。初めて女性の観客というものを意識したので、そういう意味でも華やかさがほしかった。それに、江戸時代というのは実際に見てきた人がいるわけではないので想像するしかありませんが、僕たちが思う以上に華やかだったんじゃないかなと。空気もキレイだったでしょうし、緑が豊かだったり、川にも透明感があるとか。そういうことを意識しました。また、広々とした江戸の街を俯瞰で表現したり、アニメーションならではの良さを出せましたね。例えば橋を下から見上げる構図なんか実写だとCGになってしまうし、今はもうない両国橋を再現するなんてできないですから」

話題に出てきた両国橋は、作品中、象徴的な場所として描かれている。お栄が通りゆく人々を眺めたり、妹・お猶と街の雰囲気を感じたりする場所が両国橋なのだ。

「自分自身も人間観察は好きですね。生身の人間が何気なくする行動は、自分の中からはなかなか生まれてくるものではないですから。映画ではお栄が言いますけど、原作で(歌川)国直の言う台詞に『橋はおもしれえ』というのがあります。絵師に限らず、江戸の人は橋の上に立って、ぼんやり景色を眺めてたんじゃないかと思うんですよ。そして、“江戸”ってものの見かたを変えた作家が杉浦さんじゃないかとも。杉浦作品にはあまり侍が出てこなくて、市井の人々のバカで呑気な生活が描かれる。そこで『江戸の主役は町人だよ』と教えられたんです。食・酒・女・季節……、僕らがもう味わえない豊かなものが江戸にはあった気がしますね」

ここまで話をうかがって、「百日紅」は“目の映画”ではないかという想いが頭に浮かんだ。お栄が橋の上でじっと人や街や世界を見つめる姿もそうならば、物語の縦軸となっているお栄とお猶の姉妹関係にも、目は重要な意味合いを持つ。お猶は盲目の少女だからだ。お栄はなるべくお猶を外に連れ出しては、橋の上の光景を説明をしたり、川下りでは水に、冬には雪に触れさせて、この世界を少しでも感じ取らせようとする。

「お栄は、お猶を憐れんでも仕方がないと思っています。もちろん、お栄自身は誰よりも世界を敏感に受け止められる性質の女性だから、それを少しでもお猶に体感してもらいたい。反対に、北斎は怖がっているんですよね。目の見えないお猶を見ているだけで怖いという……。北斎にとって“見える”ということは人生のすべてなんです。クライマックスで北斎が、お猶の目を奪ったのは自分かもしれないというようなことを語るシーンがあります。北斎は、それぐらい絵師としての業を感じていたんでしょうね」

さらりとした味わいの中に、表現者の本質をしっかり見据えた「百日紅」。絵師同様、視覚芸術である映画の道を選び、「アニメ制作を始める時は、果てしなく続く紙の荒野が見えるんですよ」と苦悩を語った原監督ご自身、北斎の業に共感するところはあるのだろうか。最後に尋ねてみると……。

「業と言うかどうかはわかりませんが、スタッフからは“ドS”だといわれます。『こんな大変な作業をさせるなんて』と(苦笑)。でも、プライベートでは違いますからね(笑)」

「百日紅 ~Miss HOKUSAI~」 ◎5月9日(土)~、TOHOシネマズ名古屋ベイシティほかにて公開 http://sarusuberi-movie.com/

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