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shelfが自他ともに認める代表作を、あいちトリエンナーレで上演


あいちトリエンナーレの舞台芸術公募プログラムの一環で、東京のshelfが「GHOSTS」を上演する。イプセンの戯曲「幽霊」を主宰の矢野靖人が大胆に演出した同作は、2014年に作家の生国ノルウェーのイプセン・フェスティバルでも目の肥えた観客たちに称賛されており、自他ともに認める代表作だ。矢野は名古屋出身なので当地とは縁が深く、凱旋の趣きだが、特に「GHOSTS」は名古屋と因縁めいているようで……。矢野に話を聞いた。

「『GHOSTS』は2006年に大須の七ツ寺共同スタジオで初演したんですよ。10年前です。きっかけはその前年に上演した『大熊猫中毒』にありました。愛知県文化振興事業団プロデュースによる本作は、半澤寧子さんの戯曲『大熊猫中毒』をリーディング形式で発表したしたものなんですけど、当時の七ツの劇場主・二村利之さんがすごく褒めてくださって『うちでも何かやってよ』と。それで、2006年はイプセン没後100年ということから演目が『幽霊』に決まり、七ツでの初演が実現しました。さらに2011年の再演では名古屋市民芸術祭2011の<名古屋市民芸術祭賞>を受賞することになり、その後押しもあってノルウェー招聘公演につながっていったんです。結果、10年に渡って上演する代表作となりました」

ご縁は他にもあって、照明プランを手掛けている則武鶴代も名古屋の人材。東京で活動する矢野たちが則武に大きな信頼を寄せていることも当地との良き出会いを感じさせ、なにか嬉しくなる。コレはますます名古屋、愛知の人に観ていただかねば。

看板女優・川渕優子はもちろん、初演から主人公のアルヴィング夫人を務める三橋麻子らの重量級の演技は圧巻。シンプルで美しい舞台美術の中、台詞が際立ち、同時に身体も強く迫ってくるshelfの作品は、一度見たら忘れられないインパクトを残す。ただ、このところ矢野演出は不思議な軽やかさも併せ持っているから、ますます油断ならない!?

「“近代演劇の父”と呼ばれるイプセンは、それまでのシェイクスピア作品のように王侯貴族とか英雄、神々といったような、特別な存在ではない、普通の人々を描いた作家です。それは現代の“昼ドラ”にも似ていますが、そもそもイプセンが初めて、大きな事件が起こらなくとも、私たちのような一般市民の日常にも劇的なドラマが潜んでいる、ということを描いた劇作家なんです。後世に出てきたベケットやハイナー・ミュラーに比べても、実験的ではなくオーソドックスな演劇の原型ですね。そのようなイプセン戯曲に取り組むにあたって、意識的に、理で割り切れない部分を、理で作っていくというのが僕のやり方でしょうか。壮絶に無残な美しさ、人間が凄まじく美しくズタボロになってく様を示したい。観終わってもストーリーに回収しきれないような、ゴロっとした感触が観客の中にに残っていればいいなと思っています」

「GHOSTS」は、フィヨルドが間近に見えるノルウェー西部、アルヴィング夫人の屋敷が舞台となる。孤児院の開院式を翌日に控えた夫人の家には、牧師のマンデルスが打合せに訪れたり、一人息子オスヴァルが久々にパリから帰郷したりで、夫人は上機嫌だが、彼女の望まぬ存在も登場。夫人の恐れる“幽霊”が現れ、やがて亡きアルヴィング大尉や女中レギーネとの複雑な関係も明らかになっていく。

「この戯曲は【ゴースト(幽霊)】と訳されているのですが、原題『Gengangere』は【後から返ってくるもの】という意味だと、イプセンの生地であるシェーンのイプセン・シアターという劇場で芸術監督を務めている僕の友人の俳優、トーマスに教えてもらったんですよね。繰り返し人間を縛って、逃れられないもの――それは習慣や常識など、後天的にできた人間と社会を取り巻く諸制度を指している。しかしそこには、そもそも根拠などないとイプセンは言っているんです」

イプセンの代名詞的作品「人形の家」とその主人公ノラにも絡め、矢野はこう続ける。

「自我や意識のある人間=近代的な私とともに、“私”の限界も描いているのが『幽霊』という作品なんですよ。今、ともすれば人は“誰でもない私”、ありのままの私を称揚するけれど、それはどこかで幻想であると。そのことにについて我々はもうすでに気づいている。妻でもない、母でもない、娘でもない、一人の人間として扱われることを求めた“ノラ”の反転として、“私”なんていうものも結局『すべては幽霊だ』と語られ、そのことに気づいてもどうにもならない現実が浮かび上がってくる…。そこに、血縁だとか因習、社会常識、様々な観念がどうにもならないくらいグルグルと渦巻いているから、イプセンの『幽霊』は面白いんですよね」

妻でも母でもなく、ひとりの人間として家を去ったノラというヒロインを通じて新しい“目覚めた”女性像を提示したイプセンだが、「幽霊」のアルヴィング夫人からは残酷な現実が突きつけられそうだ。それを現在と照らし合わせると、いっそう深く重いものを受け取ることに――。

「現代の私たちは“近代”を乗り越えた存在だという気でいるけど、実は全然違うと思うんです。世界中のあらゆるところで、世相が安易なポピュリズムに走り、極右化も進んでいる。世界は今、過渡期で、そのことに自覚的にならないとホントにヤバイなと感じているんです。だから本当に、この時代の現実の問題を考えるためには、第一次世界大戦の頃、あるいはそのずっと前まで、例えばイプセンの時代までさかのぼらなければいけない。みんなが世界の現状に対する性急な処方箋を求めている今、そんなものはないのかもしれないけど、僕はそれを提示することができるのがまさに芸術なんだと考えたいし、芸術でこの世界のあまりに性急な流れに、抵抗したいんです。この高度に情報化し、複雑化しつつある社会について、家族という、人間のコミュニティの最小単位で見つめたのが他ならぬイプセンなので、そこのところにもう少し食らいついていきたい。政治的な問題についても、以前は意識として頭に上りつつも、皮膚感覚ではなかった。だけどそれが、いよいよこの『GHOSTS』もまた政治的な問題をはらんだ作品として、フィクションでは収まらなくなってきた、と感じます。信じられるものがないという現在があるならば、乱暴な話、『未来を捏造せよ』とすら思う。それが冷戦後のグローバリズムを生きる僕ら世代の使命だと感じています」

*写真はすべてshelfノルウェー公演「GHOSTS ― COMPOSITION/IBSEN」より 記録映像:TANJC shelf volume 22

「GHOSTS ― COMPOSITION/IBSEN」(イプセン著「幽霊」より) ◎10月2日(日)19:00 愛知県芸術劇場小ホール 前売3,000円当日3,500円 学生2,000円 http://theatre-shelf.org/

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